トシは気にする事はない

考える

 歳をとると気が長くなるといわれる。歳を経て人生経験が積み重なってくると、物事に動じず、また、執着しないようになってくる。これが気が長くなるということだろうか。ちょっと違うような気もするが〜。

 また、何かしら決断しなければならないとき、熟慮するか、ある程度のところで見切りをつけるか、一長一短があるが、歳を重ねた人間はどのような行動をとるのであろうか。やはり熟慮だろうか、それとも経験、知見に基づく即決だろうか。そう考えたとき、自分はどうしているのかと問う声がする。私は熟慮タイプだろうと思う。私の座右の銘は「着眼大局、着手小局」というもの、大局を謀るとき熟慮は欠かせないのである。

 ところで、最近、気が短くなったような気もしている。そう思うようになったのは、待つことに苦痛を感じるようになったことである。待っているとき、何かをしていればそれで時が過ぎていくから良いのであるが、何もすることがなく手持ち無沙汰でいるときにそういうふうになるのである。

 これは生理学的に説明がつくようで、歳とは関係がないようである。こういうことを考えるということ自体が歳を気にする年代になったという事である。

 そこで、天の声。トシは気にする事はない。そう、まだ気にしなくて良いのである。

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